★ ARNKAメール報第154号 2009.11.15 |
■ タイ人拉致判明から丸4年が経過(2) ■ 2005年11月にタイ人拉致被害者アノーチャー・パンチョイさんの身元が判明してから、今月(2009年11月)で丸4年が経ちました。 この4年の動きを振り返る2回目です。 今回は、タイ政府の対応を振り返ります。 「アノーチェ」という名のタイ人拉致被害者が存在する情報は、2005年前半に行われた救う会による調査でジェンキンスさん・曽我さんから明らかにされ、この情報は日本政府からタイ政府に伝達されました。 タイ政府の当初の調査では人物確定するには至りませんでした。しかし、2009年10月末に「アノーチェ」の件がタイのテレビニュースで大きく取り上げられたことで、家族が名乗り出たことから急展開し、その後の調査で「アノーチェ」とはチェンマイ県サンカンペーン郡出身のアノーチャー・パンチョイさんであることを確定することが出来ました。 タイ政府はアノーチャーさんを現在まで拉致被害者とは呼ばずに「北朝鮮にいる可能性が高い行方不明者」としながらも、素早い対応を行いました。 判明直後の2005年11月には、当時のタクシン政権下のカンタティー外相がタイ外務省で家族と面会し、さらに北朝鮮に対して、アノーチャーさんの安否を照会しました。 しかし、北朝鮮の回答は「調査したがそのような人物の所在を北朝鮮国内に確認することは出来なかった」というもので、拉致を事実上否定しました。 その後、タイ政府はさまざまな機会に北朝鮮側にこの問題を提起しましたが、北朝鮮側は根拠となるジェンキンスさんの証言を否定し、ジェンキンスさんが持ち帰った、ジェンキンスさん夫妻とアノーチャーさんを北朝鮮の海岸で撮影した写真も「このような海岸は世界中にどこにでもある。どうして北朝鮮と断定できるのか」として否定しました。 北朝鮮がジェンキンス証言を全面否定する中で、ジェンキンス証言以外に決定的な根拠も独自情報も持たないタイ側は、交渉の決め手を欠きました。 さらにその後タイ国内の大きな政治的混乱によるタイ政府の弱化もあり、タイ人拉致交渉は現在に至る膠着状態に陥りました。 タイ政府は当初こそいくつもの動きを見せました。 カンタティー・タイ外相は、拉致判明半年後の2006年5月の訪日時には日本家族会と面会を行い、6月には再度アノーチャーさん家族とタイ外務省で面会しました。 さらに同年7月のアセアン地域フォーラム(クアラルンプール)でのタイ北朝鮮外相会談ではアノーチャーさんの件が議題となり、カンタティー外相は北朝鮮外相に対して「アノーチャーの消息を調査する二国間共同作業部会」の設置を提案するという画期的な動きを出しました。 しかし、北朝鮮は「本国に持ち帰って検討する」としたまま、2006年9月にタイは軍事クーデターが発生してタクシン首相が国外に追われる政治混乱に陥り、うやむやとなってしまいました。 クーデターが起こる1週間前には、タイ国会においても下院外務委員会が初めてタイ人拉致問題を取り上げましたが、これもクーデターにより議会が閉鎖されたことにより1回だけに止まり、継続しませんでした。 タイは2007年に入り、文民のスラユット暫定首相を首班とする暫定政権で、ニット外相がアノーチャーさん家族と面会し、タイ政府が引き続きアノーチャーさん問題の解決を重視し、北朝鮮と交渉してゆくことを表明しました。 同暫定政権下の同年8月のアセアン地域フォーラム(マニラ)で行われたタイ北朝鮮外相会談では再びアノーチャーさんの件が議題となり、「アノーチャーさん実兄のスカムさんが金正日に宛てた、妹の帰還を願う手紙」が、ニット外相から朴義春北朝鮮外相に対して手渡されました。 しかし、拉致解決に具体的進捗はもたらしませんでした。 タイはその後、2007年末の民政移管総選挙を経て民政を回復し、2008年2月にはタクシン派のサマック首相を首班とする政権が成立しました。 しかし、タクシン派と反タクシン派の対立及び反政府運動が激化、内政に大きな混乱が続く中、タイ人拉致問題は全く進捗が見られないまま推移しました。 2008年12月には民主党アピシット現首相を首班とする反タクシン派政権が成立しましたが、内政の混乱は続き、2009年5月には、タイ・日・韓の拉致被害者家族等からなる「国際拉致解決連合」が首脳面会を要請していたパタヤで開催の東アジア首脳会議が、タクシン派反政府団体の乱入により会議中途で中止される事態となりました。 タイ国内の政治混乱の中で、タイ政府と北朝鮮との接触で拉致問題が取り上げる機会は著しく少なくなりました。 2009年7月にはタイのプーケットでアセアン地域フォーラムが開催され、議長国であるタイ政府はこの機会に前年のシンガポールにならい非公式6ヶ国協議を主催すべく平壌へ高レベル実務者を送り北朝鮮外相の参加を協議しましたが成功せず、北朝鮮外務省付無任所大使の参加となりました。この協議の過程や、同フォーラム開催中のタイ外相と北朝鮮無任所大使の2国間会談の中でも、アノーチャーさんの問題は取り上げられることがありませんでした。 このように、タイ政府はタイ人拉致が判明した当初こそいくつもの動きを見せました。 しかし、北朝鮮がジェンキンス証言を全面否定する中で、日本からもたらされたジェンキンス証言以外に決定的な根拠も独自情報も持たないタイ側は、交渉の決め手を欠きました。 同時に、タイは2006年9月の軍事クーデターから続く大きな内政的混乱に陥りました。 その中でタイ人拉致問題は十分な交渉を行うことが出来ず、全く進捗が見られないまま膠着した状況の中で、タイ人拉致判明丸4年となる現在を迎えています。 なお、タイ政府の拉致問題解決交渉は、タイと北朝鮮の二国間対話の中で解決を目指すというスタンスを取り続けています。国際的な圧力には消極的で、タイ人拉致判明後も、国連での北朝鮮人権非難決議にタイは棄権を続けています。 また、北朝鮮の対外貿易高ではタイは2007年まで第3位の位置にいましたが、これを引き締めて拉致問題解決への圧力として用いるような手法も取らず、対話のみのスタンスを続けています。 これは、タイ政府に取ってアノーチャーさん一人の拉致を解決することが、上記の対応を変更することで生じるリスクを取るほどの重要課題とは認識されていないことと考えられます。 タイ政府による拉致解決は行き詰まった状況にあるものの、現在日韓以外で北朝鮮と拉致被害者の帰還交渉を行っている国は、タイのみであり、この事実は重要な意味を持っていると考えられます。 ----------------------------------------------------- ARNKA(アーンカ)メール報の定期受信は本会までメールでお申込下さい。 ARNKAメール報が不要の方も同様にご連絡下さい。 ------------------------------------------------------ ARNKA配布資料 メールでお申込下さい。添付ファイルでお送りいたします(無料)。 1.タイ人拉致被害者アノーチャー・パンジョイさん個人史 (タイ語版・英語版・日本語版) 2.北朝鮮拉致問題に関するタイ外相インタビュー記事日本語訳[2006年2月] 3.タイ人拉致被害者実兄の思い [2006年4月ReACH/CHNK共催ワシントン拉致被害者救援コンサートで読まれた手紙] (タイ語版・英語版・日本語版) 4.タイ外務省ウェブサイトの北朝鮮紹介ページ日本語全訳 [タイ-北朝鮮関係の基礎資料] 5.タイ-北朝鮮貿易額統計2001-2005年 [タイは04年より北朝鮮の対外貿易高第3位](タイ語版・日本語版) 6.日本の北朝鮮人権法タイ語訳 7.タイ人拉致問題パンフレット[A4両面三つ折用](タイ語版・英語版・日本語版) ------------------------------------------------------ ARNKAの活動は支援者の皆様の寄付で賄われています。 拉致問題の一刻も早い解決のために皆様のご支援を心よりお願い申し上げます。 ご寄付の振込先 口座名義:TOMOHARU EBIHARA(ARNKA) 銀行名:The Siam Commercial Bank 支店名:Payap University Sub Branch 口座番号:802-2-06137-3 ------------------------------------------------------ The Association for the Rescue of North Korean Abductees, Chiangmai(ARNKA) 北朝鮮に拉致された人々を救援する会チェンマイ 代 表 海老原 智治 (Tomoharu EBIHARA) 連絡先↓;(会の事務所ではありません) Thai-Japan Center, Payap University Super Highway RD., A.Muang Chiangmai 50000 Thailand infoarnka[@]gmail.com メール送信の際はかっこを外して下さい。 www.arnka.com/ ------------------------------------------------------ |