★ ARNKAメール報第177号 ★ 2010.10.27
タイ人拉致判明から丸5年が経過(2)

 1978年にマカオで発生したタイ人女性アノーチャー・パンチョイさんの失踪が、実は北朝鮮拉致であったことは、2005年11月になって初めて判明しました。

 アノーチャーさん拉致は現在、拉致発生から32年が経過し、2005年11月の拉致判明からは丸5年を迎えようとしています。

 本メールニュースは、アノーチャーさん拉致のこれまでの経緯を振り返る第2回目です。
 今回は、これまでのタイ政府の対応を振り返ります。

 タイ政府の拉致対応は、大きく以下の3期に分けられます。

1.
 北朝鮮と交渉が行われた時期
 (2005年~2006年9月)
2.
 北朝鮮要人会談時に、拉致被害者に言及していた時期
 (2006年9月~2007年)
3.
 北朝鮮要人会談時に、言及も欠くようになった時期
 (2008年~現在)

 以下、主な出来事を紹介します。

1.
 北朝鮮と交渉が行われた時期
 (2005年~2006年9月)

 アノーチャーさん拉致が判明した2005年11月当時、タイはタクシン政権下にあり、政治は比較的安定していました。
 タイ政府は2005年11月に、ジェンキンス証言によるタイ人拉致被害者「アノーチェ」が、アノーチャー・パンチョイさん(チェンマイ出身)であるとの人物確定がなされた直後から、機敏な動きを見せました。
 05年11月に当時のカンタティー外相が家族とすぐさま面会し、北朝鮮政府に所在を照会するなどしました。
 北朝鮮の回答は「国内で調査したがそのような人物の所在は発見できなかった」というものでした。
 06年1月には家族が、お国入りしたタクシン首相に、救援嘆願書を直接手渡しました。
 06年6月にはタクシン首相が北朝鮮大使に対して、アノーチャーさんの所在確認を再度要請しました。
 さらに、06年7月のアセアン地域フォーラム(クアラルンプール)では、タイ北朝鮮2国間外相会談でカンタティー外相が、アノーチャーさんの件を調査する「2国間作業部会」の設置を提案し、タイ側は作業チームをすぐにでも送って第1回会合を平壌で行う準備がある旨を表明しました。

 また、タイ国会においても、06年9月14日の下院外務委員会でアノーチャーさん拉致が初めて取り上げられました。
 (国会委員会がアノーチャー拉致を取り上げたのは、現在までこの1度のみ。)

 この時期はタイと北朝鮮の間で、アノーチャー問題の具体的交渉とまでは言えないまでも、交渉の入口を作るための交渉が何度もなされたと言えます。

 タイはしかし、2006年9月19日に軍事クーデターが発生し、タクシン首相が追放される事態となりました。
 タイはこれ以後、現在まで続く政治混乱に陥り、その後の政権はいずれも大きな内政問題を抱え、アノーチャーさん問題への対応が著しく弱くなりました。

2.
 北朝鮮要人会談時に、拉致被害者に言及していた時期
 (2006年9月~2007年)

 06年9月19日の軍事クーデター以後、軍人による「民主改革評議会」が政権掌握し、10月1日には民政移管として同評議会の指名によるスラユット首相就任して、1年後の新憲法発布及び総選挙までの暫定政権となりました。
 しかし、政治混乱は続き、暫定政権はクーデター丸1年後の07年9月には、民政完全移行のための新憲法発布と総選挙を行うことが出来ず、選挙は12月23日まで持ち越されました。
 総選挙結果を受けた民政完全移行は、2008年2月6日のサマック首相(タクシン派)就任によりなされました。

 内政混乱を受けて、タイ政府はアノーチャーの問題を北朝鮮と交渉する余力を大きく低下させました。
 北朝鮮はタイ政府の弱化を見て、2国間作業部会設置への回答を留保し続け、タイ側も要請を実現するための働きかけをすることが無かったため、この提案は自然消滅した形になりました。

 アノーチャーさん家族はこの時期もタイ暫定政権への働きかけを行い、06年12月には当時のニット外相と面会しました。
 その結果、07年8月にはアセアン地域フォーラム(マニラ)でのタイ北朝鮮外相会談において、家族が金正日に宛てて書いたアノーチャーさんの帰還を訴える手紙が、ニット外相から北朝鮮外相に手渡されました。

 このように、大臣が家族と面会したり、北朝鮮要人との会談の際にアノーチャーさん問題が取り上げられたものの、タイ政府は交渉の糸口を欠いてすべて単発の動きに終わり、具体的交渉の入り口に入ることは出来ませんでした。

3.
 北朝鮮要人会談時に、言及も欠くようになった時期
 (2008年~現在)

 2008年2月のサマック首相就任による民政完全移行後も、タイ政治はタクシン派と反タクシン派による政争が激しく、内政の大きな混乱と治安維持上の不安が継続しました。
(反対派による首相府長期占拠、空港占拠による閉鎖、デモ激化による東アジアサミットの延期、同開会中の中止等)
 タクシン派のサマック首相は08年11月に在任9ヶ月あまりで退陣し、続く同派のソムチャイ首相も1ヶ月後の12月上旬に退陣、12月15日には反タクシン派からアピシット現首相が政権に就き、民政完全移行から約10ヶ月の間に3人の首相が立つ事態となりました。

 政治混乱が続いてアノーチャー問題に当たる余力がないのは明らかで、問題対応はさらに後退しました。
 2009年4月には、タイのパタヤで東アジアサミットが開催され、各国拉致被害者家族が作る「国際拉致解決連合」が、会期中のアピシット・タイ首相への面会を要請しましたが、会議はタクシン派の大規模反対デモに見舞われて会期途中で中止される事態に追い込まれ、首相面会も実現しませんでした。

 北朝鮮との要人会談でも、アノーチャーさん問題に若干言及こそすれ、北は黙殺する対応が続きました。
 08年8月のアセアン地域フォーラム(シンガポール)では、タイ北朝鮮外相会談自体が開催されず、アノーチャー問題が言及されることはありませんでした。
 09年はタイがアセアン議長国となり、同7月にはアセアン地域フォーラムがタイのプーケットで開催されました。
 タイ政府は、シンガポールが前年の同フォーラムで非公式6ヶ国協議をホストしたことから、タイもホストすべく北朝鮮と協議を重ね、外相補佐を平壌に派遣し北朝鮮外相の出席を交渉するなどしましたが、結局、北朝鮮は拒否して6ヶ国協議は開催されず、アセアン地域フォーラムも北外相出席はなく政府代表団の派遣に止まりました。
 この交渉の過程で、アノーチャーさん問題が話し合われることは全くありませんでした。
 アセアン地域フォーラムの開催前には、アノーチャーさん家族がタイ外務省次官補と面会し、タイ北朝鮮2国間会談でアノーチャーさん問題を取り上げることを訴えましたが、会談では言及されませんでした。

 2010年1月には、北朝鮮の駐タイ大使が交代し、アン・ソンナム新大使が着任しました。
 家族はこれを受け、タイ外相にアノーチャー問題を新大使に提起するようレターを送り訴えましたが、10年3月22日に行われた外相と大使の初会談では、言及されませんでした。
(但し、4月27日に行われたタイ外務省次官補と大使の会談では、若干言及されました。)

 タイが非公式6ヶ国協議を開催しようとした動きは、当時北朝鮮のミサイル発射問題が国際的な懸念であり、この話し合いの場を作ることで、クーデターと政争で傷ついたタイの評価や威信を挽回しようとしたものと見られます。
 しかし、平壌に高官を送って交渉したにもかかわらず袖にされ、逆に自らの顔を潰した格好となりました。

 クーデターから民政移管後、政治混乱による不安定もあり、タイ政府はアノーチャーさん問題の交渉力を大きく低下させています。
 しかし、2008年2月のサマック政権成立による民政完全移管後3人目の首相となる、アピシット現首相の在任が、2008年12月15日の就任以来約2年を迎えようとしていることからも、内政に一定の安定を見つつあります。
 政府への再度の働きかけが必要な段階に入っていると考えられます。

------------------------------------------------------

※ARNKAからお知らせ
  私書箱を開設しました。
  会宛の郵便物は以下までお願い致します。
The Association for the Rescue of North Korea Abductees, Chiangmai(ARNKA)
Tomoharu EBIHARA

P.O. Box 29 Bo Sang Post Office
A. Sankampaeng, Chiang Mai, Thailand 50131

------------------------------------------------------
ARNKA(アーンカ)メール報の定期受信は本会までメールでお申込下さい。
配信停止を希望される方も同様にご連絡下さい。
------------------------------------------------------
ARNKA配布資料 メールでお申込下さい。添付ファイルでお送りいたします(無料)。
1.タイ人拉致被害者アノーチャー・パンジョイさん個人史
  (タイ語版・英語版・日本語版)
2.北朝鮮拉致問題に関するタイ外相インタビュー記事日本語訳[2006年2月]
3.タイ人拉致被害者実兄の思い
  [2006年4月ReACH/CHNK共催ワシントン拉致被害者救援コンサートで読まれた手紙]
  (タイ語版・英語版・日本語版)
4.タイ外務省ウェブサイトの北朝鮮紹介ページ日本語全訳
  [タイ-北朝鮮関係の基礎資料]
5.タイ-北朝鮮貿易額統計2001-2005年
  [タイは04年より北朝鮮の対外貿易高第3位](タイ語版・日本語版)
6.日本の北朝鮮人権法タイ語訳
7.タイ人拉致問題パンフレット[A4両面三つ折用](タイ語版・英語版・日本語版)
------------------------------------------------------
ARNKAの活動は支援者の皆様の寄付で賄われています。
拉致問題の一刻も早い解決のために皆様のご支援を心よりお願い申し上げます。
ご寄付の振込先
口座名義: TOMOHARU EBIHARA(ARNKA)
銀行名: The Siam Commercial Bank
支店名: Payap University Sub Branch
口座番号: 802-2-06137-3
------------------------------------------------------
The Association for the Rescue of North Korean Abductees, Chiangmai(ARNKA)
北朝鮮に拉致された人々を救援する会チェンマイ
代 表 海老原 智治 (Tomoharu EBIHARA)
連絡先↓;
P.O. Box 29 Bo Sang Post Office
A. Sankampaeng, Chiang Mai, Thailand 50131
infoarnka[@]gmail.com
メール送信の際はかっこを外して下さい。
www.arnka.com/
------------------------------------------------------