★ 第十一 「なまけるな」
なつのあつい日ざかりに、ありのおや子が、あせをながしながら、いもむしをじぶんのうちにひいていきました。きりぎりすは、それを見て、あざけりわらいました。そうして、じぶんは、うつくしいくさ花のかげで、ちょうと一しょに、うたったり、おどったりしていました。

子ありが、

「あんなにあそんでくらしたいな。」

とうらやましがると、おやありは、

「なつうたうものは、ふゆ泣くのだ。なまけてはならないよ。」

といって、いいきかせました。

なつもすぎ、やがてふゆが来ました。

ありは、たべものにこまりませんが、きりぎりすは、たべるものが、なくなって、ありの所へもらいに来ました。

★ 第二十三 「ちゅうぎ」
かいぐんちゅうさ広瀬武夫はりょじゅんのみなと口をふさいで、てきのぐんかんを出さないようにするために、やみ夜に、きせんにのって出かけました。できのうち出す大ほうのたまが、雨あられととんで来る中をつきすすみ、船をしずめてひきあげようとしましたが、一人杉野へいそうちょうのすがたが見えませんでした。

ちゅうさは、

「杉野、杉野。」

と大ごえに呼びながら、しずみかけているふねの中を、三度もたずねまわりました。しかし、いよいよ杉野がいないので、たんていにのりうつって、かえりかけた時、ちゅうさは、大ほうのたまにあたって、りっぱなせんしをとげました。

★ 第二十四 「やくそくをまもれ」
広瀬武夫は、ロシヤに長く行っていたことがあります。武夫は、国をたつ前に、ある子どもに、

「おみやげに、あちらのゆうびん切手を、持ってかえってあげよう。」

とやくそくしました。

武夫は、ロシヤからかえるとちゅうで、たった一人、そりにのって、あぶないたびをすることになりました。

ちょうど、さむいふゆのことです。そこは、ひろいひろい雪とこおりのあれのはらで、見わたすかぎり、家も何もありません。

その時、武夫は、さきのやくそくを思い出して、

「もしとちゅうでじぶんが死ぬようなことがあったら、あのやくそくがはたせない。」

と思いました。

そこで、武夫は、その子どもにあてた手紙をかいてゆうびん切手を入れ、それを、じぶんのにいさんの所へおくって、

「もし私が死んだら、この手紙を子どもにとどけて下さい。」

と、たのんでやりました。

★ 第二十五 「しょうじき」
松平信綱は、小さい時、しょうぐんのやしきで、なかまとたわむれて、たいせつなびょうぶをやぶりました。間もなく、しょうぐんがそこを通りかかり、

「これは、だれがやぶったのか。」

と、聞きました。なかまのものは、みんなだまっていました。その時、信綱は、

「私がやぶりました。」

と隠さずもうしあげて、おわびをしました。

すると、しょうぐんは、

「よくもしょうじきにもうした。」

と信綱をほめ、

「これからは、またかようなあやまちをしないように。」

といましめて、別にとがめませんでした。

しょうじきは一しょうのたから。

★ 第二十六 「おんを忘れるな」
はちは、かわいい犬です。生まれて間もなくよその人にひき取られ、その家の子のようにしてかわいがられました。そのために、よわかったからだも、大そうじょうぶになりました。

そうして、かいぬしが毎朝つとめに出る時は、でんしゃのえきまでおくって行き、夕がたかえるころには、またえきまでむかえに出ました。

やがてかいぬしがなくなりました。

はちは、それを知らないのか、毎日かいぬしをさがしました。いつものえきに行っては、でんしゃのつくたびに、出て来る大ぜいの人の中に、かいぬしはいないかとさがしました。

こうして、月日がたちました。

一年たち、二年たち、三年たち、十年もたっても、しかし、まだかいぬしをさがしている年をとったはちのすがたが、毎日、そのえきの前に見られました。

2006年12月5日更新