『國體の本義』目次   ☆ 緒 言 ☆   第一章 大日本國體   第二章 國史に於ける國體の顕現   ☆ 結 語 ☆

『國體の本義』

☆ 緒 言 ☆

  現代日本と思想問題

我が國は、今や國運頗る盛んに、海外發展のいきほひ著しく、前途彌々多望な時に際會してゐる。産業は隆盛に、國防は威力を加へ、生活は豐富となり、文化の發展は諸方面に著しいものがある。


夙に支那・印度に由來する東洋文化は、我が國に輸入せられて、惟~かむながらの國體に醇化せられ、更に明治・大正以來、歐米近代文化の輸入によつて諸種の文物は顯著な發達を遂げた。


文物・制度の整備せる、學術の一大進歩をなせる、思想・文化の多彩を極むる、萬葉歌人をして今日にあらしめば、再び「御民みたみわれ生けるしるしあり天地あまつちの榮ゆる時にあへらく念へば」と謳ふであろう。明治維新の鴻業により、舊來の陋習を破り、封建的束縛を去つて、國民はよくその志を遂げ、その分を竭くし、爾來七十年、以て今日の盛時を見るに至つた。


併しながらこの盛時は、靜かにこれを省みるに、實に安穩平靜のそれに非ずして、内に外に波瀾萬丈、發展の前途に幾多の困難を藏し、隆盛の内面に混亂をつつんでゐる。


即ち國體の本義は、動もすれば透徹せず、學問・ヘ育・政治・經濟その他國民生活の各方面に幾多の缺陷を存し、伸びんとする力と混亂の因とは錯綜表裏し、燦然たる文化は内に薫蕕くんいうを併せつゝみ、こゝに種々の困難な問題を生じてゐる。


今や我が國は、一大躍進をなさんとするに際して、生彩と陰影相共に現れた感がある。併しながら、これ飽くまで發展の機であり、進歩の時である。我等は、よく現下内外の眞相を把握し、據つて進むべき道を明かにすると共に、奮起して難局の打開に任じ、彌々國運の伸展に貢獻するところがなければならぬ。


現今我が國の思想上・社會上の諸弊は、明治以降餘りにも急激に多種多樣な歐米の文物・制度・學術を輸入したために、動もすれば、本を忘れて末に趨り、嚴正な批判を缺き、徹底した醇化をなし得なかつた結果である。抑々我が國に輸入せられた西洋思想は、主として十八世紀以來の啓蒙思想であり、或はその延長としての思想である。


これらの思想の根柢をなす世界觀・人生觀は、歴史的考察を缺いた合理主義であり、實證主義であり、一面に於て個人に至高の價値を認め、個人の自由と平等を主張すると共に、他面に於て國家や民族を超越した抽象的な世界性を尊重するものである。


從つてそこには歴史的全體より孤立して、抽象化せられた個々獨立の人間とその集合とが重視せられる。かゝる世界觀・人生觀を基とする政治學説・社會學説・道徳學説・ヘ育學説等が、一方に於て我が國の諸種の改革に貢獻すると共に、他方に於て深く廣くその影響を我が國本來の思想・文化に與へた。


我が國の啓蒙運動に於ては、先づ佛蘭西啓蒙期の政治哲學たる自由民權思想を始め、英米の議會政治思想や實利主義・功利主義、獨逸の國權思想等が輸入せられ、固陋な慣習や制度の改廢にその力を發揮した。かゝる運動は、文明開化の名の下に廣く時代の風潮をなし、政治・經濟・思想・風習等を動かし、所謂歐化主義時代を現出した。


然るにこれに對して傳統復歸の運動が起つた。それは國粹保存の名によつて行はれたもので、澎湃たる西洋文化の輸入の潮流に抗した國民的自覺の現れであつた。蓋し極端な歐化は、我が國の傳統を傷つけ、歴史の内面を流れる國民的精~を萎靡せしめる惧れがあつたからである。かくて歐化主義と國粹保存主義との對立を來し、思想は昏迷に陷り、國民は、内、傳統に從ふべきか、外、新思想に就くべきかに惱んだ。


然るに、明治二十三年「ヘ育ニ關スル勅語」の渙發せられるに至つて、國民は皇祖皇宗の肇國樹徳の聖業とその履踐すべき大道とを覺り、こゝに進むべき確たる方向を見出した。然るに歐米文化輸入のいきほひの依然として盛んなために、この國體に基づく大道の明示せられたにも拘らず、未だ消化せられない西洋思想は、その後も依然として流行を極めた。


即ち西洋個人本意の思想は、更に新しい旗幟の下に實證主義及び自然主義として入り來り、それと前後して理想主義的思想・學説も迎へられ、又續いて民主主義・社會主義・無政府主義・共産主義等の侵入となり、最近に至つてはファッシズム等の輸入を見、遂に今日我等の當面する如き思想上・社會上の混亂を惹起し、國體に關する根本的自覺を喚起するに至つた。


  國體の自覺

抑々社會主義・無政府主義・共産主義等の詭激なる思想は、究極に於てはすべて西洋近代思想の根柢をなす個人主義に基づくものであつて、その發現の種々相たるに過ぎない。個人主義を本とする歐米に於ても、共産主義に對しては、さすがにこれを容れ得ずして、今やその本來の個人主義を棄てんとして、全體主義・國民主義の勃興を見、ファッショ・ナチスの擡頭ともなつた。


即ち個人主義の行詰りは、歐米に於ても我が國に於ても、等しく思想上・社會上の混亂と轉換との時期を將來してゐるといふことが出來る。久しく個人主義の下にその社會・國家を發達せしめた歐米が、今日の行詰りを如何に打開するかの問題は暫く措き、我が國に關する限り、眞に我が國獨自の立場に還り、萬古不易の國體を闡明し、一切の追隨を排して、よく本來の姿を現前せしめ、而も固陋を棄てて益々歐米文化の攝取醇化に努め、本を立てて末を生かし、聰明にして宏量なる新日本を建設すべきである。


即ち今日我が國民の思想の相剋、生活の動搖、文化の混亂は、我等國民がよく西洋思想の本質を徹見すると共に、眞に我が國體の本義を體得することによつてのみ解決せられる。而してこのことは、獨り我が國のためのみならず、今や個人主義の行詰まりに於てその打開に苦しむ世界人類のためでなければならぬ。こゝに我等の重大なる世界史的使命がある。


乃ち「國體の本義」を編纂して、肇國の由來を詳にし、その大精~を闡明すると共に、國體の國史に顯現する姿を明示し、進んでこれを今の世に説き及ぼし、以て國民の自覺と努力とを促す所以である。