『國體の本義』
☆ 結 語 ☆
我等は、以上我が國體の本義とその國史に顯現する姿とを考察して來た。今や我等皇國臣民は、現下の諸問題に對して如何なる覺悟と態度とをもつべきであらうか。惟ふに、先づ努むべきは、國體の本義に基づいて諸問題の起因をなす外來文化を醇化し、新日本文化を創造するの事業である。
我が國に輸入せられた各種の外來思想は、支那・印度・歐米の民族性や歴史性に由來する點に於て、それらの國々に於ては當然のものであつたにしても、特殊な國體をもつ我が國に於ては、それが我が國情に適するか否かが先づ嚴正に批判檢討せられねばならぬ。
即ちこの自覺とそれに伴ふ醇化とによつて、始めて我が國として特色ある新文化の創造が期し得られる。
西洋思想の特質
抑々西洋思想は、その源をギリシヤ思想に發してゐる。ギリシヤ思想は、主治的精~を基調とするものであり、合理的・客觀的・觀想的なることを特徴とする。そこには、都市を中心として文化が創造せられ、人類史上稀にみる哲學・藝術等を遺したのであるが、末期に至つてはその思想及び生活に於て、漸次に個人主義的傾向を生じた。
而してローマは、このギリシヤ思想を法律・政治その他の實際的方面に繼承し發展せしめると同時に、超國家的なキリストヘを採用した。歐米諸國の近世思想は、一面にはギリシヤ思想を復活し、中世期の宗ヘ的壓迫と封建的專制とに反抗し、個人の解放、その自由の獲得を主張し、天國を地上に將來せんとする意圖に發足したものであり、他面には、中世期の超國家的な普遍性と眞理性とを尊重する思想を繼承し、而もこれを地上に實證に求めんとするところから出發した。
これがため自然科學を發達せしめると共に、ヘ育・學問・政治・經濟等の各方面に於て、個人主義・自由主義・合理主義を主流として、そこに世界史的に特色ある近代文化の著しい發展を齎した。
抑々人間は現實的の存在であると共に永遠なるものに連なる歴史的存在である。又、我であると同時に同胞たる存在である。即ち國民精~により歴史に基づいてその存在が規定される。これが人間存在の根本性格である。この具體的な國民としての存在を失はず、そのまゝ個人として存在するところに深い意義が見出される。
然るに、個人主義的な人間解釋は、個人たる一面のみを抽象して、その國民性と歴史性とを無視する。從つて全體性・具體性を失ひ、人間存立の眞實を逸脱し、その理論は現實より遊離して、種々の誤つた傾向に趨る。こゝに個人主義・自由主義乃至その發展たる種々の思想の根本的なる過誤がある。
今や西洋諸國に於ては、この誤謬を自覺し、而してこれを超克するために種々の思想や運動が起つた。併しながら、これら畢竟個人の單なる集合を以て團體或は階級とするか、乃至は抽象的の國家を觀念するに終るのであつて、かくの如きは誤謬に代ふるに誤謬を以てするに止まり、決して眞實の打開解決ではない。
東洋思想の特質
我が國に輸入せられた支那思想は、主として儒ヘと老莊思想とであつた。儒ヘは實踐的な道として優れた内容をもち、頗る價値のあるヘである。而して孝を以てヘの根本としてゐるが、それは支那に於て家族を中心として道が立てられてゐるからである。
この孝は實行的な特色をもつてゐるが、我が國の如く忠孝一本の國家的道徳として完成せられてゐない。家族的道徳を以て國家的道徳の基礎とし、忠臣は孝子の門より出づるともいつてゐるが、支那には易姓革命・禪讓放伐が行はれてゐるから、その忠孝は歴史的・具體的な永遠の國家の道徳とはなり得ない。
老莊は、人爲を捨てて自然に帰り、無爲を以て化する境涯を理想とし、結局その道は文化を否定する抽象的のものとなり、具體的な歴史的基礎の上に立たずして個人主義に陷つた。その末流は所謂竹林の七賢の如く、世間を離れて孤獨を守らうとする傾向を示し、清談獨善の徒となつた。
要するに儒ヘも老莊思想も、歴史的に發展する具體的國家の基礎をもたざる點に於て、個人主義的傾向に陷るものといへる。
併しながら、それらが我が國に攝取せられるに及んでは、個人主義的・革命的要素は脱落し、殊に儒ヘは我が國體に醇化せられて日本儒ヘの建設となり、我が國民道徳の發達に寄與することが大であつた。
印度における佛ヘは、行的・直觀的な方面もあるが、觀想的・非現實的な民族性から創造せられたものであつて、冥想的・非歴史的・超國家的なものである。
然るに我が國に攝取せられるに及んでは、國民精~に醇化せられ、現實的・具體的な性格を得て、國本培養に貢獻するところが多かったのである。
新日本文化の創造
これを要するに、西洋の學問や思想の長所が分析的・知的であるに對して、東洋の學問・思想は、直觀的・行的なることを特色とする。それは民族と歴史との相違から起る必然的傾向であるが、これを我が國の精~・思想竝びに生活と比較する時は、尚そこに大なる根本的の差異を認めざるを得ない。
我が國は、從來支那思想・印度思想等を輸入し、よくこれを攝取醇化して皇道の羽翼とし、國體に基づく獨自の文化を建設し得たのである。明治維新以來、西洋文化は滔々として流入し、著しく我が國運の隆昌に貢獻するところがあつたが、その個人主義的性格は、我が國民生活の各方面に亙つて種々の弊害を釀し、思想の動搖を生ずるに至つた。
併しながら、今やこの西洋思想を我が國體に基づいて醇化し、以て宏大なる新日本文化を建設し、これを契機として國家的大發展をなすべき時に際會してゐる。
西洋文化の攝取醇化に當つては、先づ西洋の文物・思想の本質を究明することを必要とする。これなくしては、國體の明徴は現實を離れた抽象的のものとなるであらう。西洋近代文化の顯著なる特色は、實證性を基とする自然科學及びその結果たる物質文化の華かな發達にある。
更に精~科學の方面に於ても、その精密性と論理的組織性とが見られ、特色ある文化を形成してゐる。我が國は益々これらの諸學を輸入して、文化の向上、國家の發展を期せねばならぬ。併しながらこれらの學的體系・方法及び技術は、西洋に於ける民族・歴史・風土の特性より來る西洋獨自の人生觀・世界觀によつて裏附けられてゐる。
それ故に、我が國にこれを輸入するに際しては、十分この點に留意し、深くその本質を徹見し、透徹した見識の下によくその長所を採用し短所を捨てなければならぬ。
諸般の刷新
明治以來の我が國の傾向を見るに、或は傳統精~を棄てて全く西洋思想に沒入したものがあり、或は歴史的な信念を維持しながら、而も西洋の學術思想に關して十分な批判を加へず、そのまゝこれを踏襲して二元的な思想に陷り、而もこれを意識せざるものがある。
又著しく西洋思想の影響を受けた知識階級と、一般のものとは相當な思想的懸隔を來たしてゐる。かくて、かゝる情態から種々の困難な問題が發生した。嘗て流行した共産主義運動、或は最近に於ける天皇機關説の問題の如きが、往々にして一部の學者・知識階級の問題であつた如きは、よくこの間の消息を物語つてゐる。
今や共産主義は衰頽し、機關説が打破せられたやうに見えても、それはまだ決して根本的に解決せられてはゐない。各方面に於ける西洋思想の本質の究明とその國體による醇化とが、今一段の進展を見ざる限り、眞の成果を舉げる事は困難であらう。
惟ふに西洋の思想・學問について、一般に極端なるもの、例へば共産主義・無政府主義の如きは、何人も容易に我が國體と相容れぬものであることに氣づくのであるが、極端ならざるもの、例へば民主主義・自由主義等については、果してそれが我が國體と合致するや否やについては多くの注意を拂はない。
抑々如何にして近代西洋思想が民主主義・社會主義・共産主義・無政府主義等を生んだかを考察するに、先に述べた如く、そこにはすべての思想の基礎となつてゐる歴史的背景があり、然もその根柢には個人主義的人生觀があることを知るのである。
西洋近代化の根本性格は、個人を以て絶對獨立自存の存在とし、一切の文化はこの個人の充實に存し、個人が一切價値の創造者・決定者であるとするところにある。從つて個人の主觀的思考を重んじ、個人の腦裡に描くところの觀念によつてのみ國家を考へ、諸般の制度を企畫し、理論を構成せんとする。
かくして作られた西洋の國家學説・政治思想は、多くは、國家を以て、個人を生み、個人を超えた主體的な存在とせず、個人の利益保護、幸q攝iの手段と考へ、自由・平等・獨立の個人を中心とする生活原理の表現となつた。從つて、恣な自由解放のみを求め、奉仕といふ道徳的自由を忘れた謬れる自由主義や民主主義が發生した。
而してこの個人主義とこれに伴ふ抽象的思想の發展するところ、必然に具體的・歴史的な國家生活は抽象的論理の蔭に見失はれ、いづれの國家も國民も一樣に國家一般乃至人間一般として考へられ、具體的な各國家及びその特性よりも、寧ろ世界一體の國際社會、世界全體に通ずる普遍的理論の如きものが重んぜられ、遂には國際法が國法よりも高次の規範であり、高き價値をもち、國法は寧ろこれに從屬するものとするが如き誤つた考すら發生するに至るのである。
個人の自由なる營利活動の結果に對して、國家の繁榮を期待するところに、西洋に於ける近代自由主義經濟の濫觴がある。
西洋に發達した近代の産業組織が我が國に輸入せられた場合も、國利民bニいふ精~が強く人心を支配してゐた間は、個人の溌剌たる自由活動は著しく國富の増進に寄與し得たのであるけれども、その後、個人主義・自由主義思想の普及と共に、漸く經濟運營に於て利己主義が公然正當化せられるが如き傾向を馴致するに至つた。
この傾向は貧富の懸隔の問題を發生せしめ、遂に階級的對立鬪爭の思想を生ぜしめる原因となつたが、更に共産主義の侵入するや、經濟を以て政治・道徳その他百般の文化の根本と見ると共に、階級鬪爭を通じてのみ理想的社會を實現し得ると考ふるが如き妄想を生ぜしめた。
利己主義や階級鬪爭が我が國體に反することは説くまでもない。皇運扶翼の精~の下に、國民各々が進んで生業に競ひ勵み、各人の活動が統一せられ、秩序づけられるところに於てこそ、國利と民bニは一如となつて、健全なる國民經濟が進展し得るのである。
ヘ育についても亦同樣である。明治維新以後、我が國は進歩した歐米諸國のヘ育を參酌して、ヘ育制度・ヘ授内容等の整備に努め、又自然科學はもとより精~諸科學の方面に於ても大いに西洋の學術を輸入し、以て我が國學問の進歩と國民ヘ育の普及とを圖つて來た。
五箇條の御誓文を奉體して舊來の陋習を破り、智識を世界に求めた進取の精~は、この方面にも亦長足の進歩を促し、その成果は極めて大なるものがあつた。
併しそれと同時に個人主義思想の浸潤によつて、學問もヘ育も動もすれば普遍的眞理といふが如き、抽象的なもののみを目標として、理智のみの世界、歴史と具體的生活とを離れた世界に趨らんとし、智育も徳育も知らず識らず抽象化せられた人間の自由、個人の完成を目的とする傾向を生ずるに至つた。
それと同時に又それらの學問・ヘ育が、分化し專門化して漸く綜合統一を缺き、具體性を失ふに至つた。この傾向を是正するには、我が國ヘ育の淵源たる國體の眞義を明らかにし、個人主義思想と抽象的思考との清算に努力するの外はない。
かくの如く、ヘ育・學問・政治・經濟等の諸分野に亙つて浸潤してゐる西洋近代思想の歸するところは、結局個人主義である。而して個人主義文化が個人の價値を自覺せしめ、個人能力の發揚を促したことは、その功績といはねばならぬ。併しながら西洋の現實が示す如く、個人主義は、畢竟個人と個人、乃至は階級間の對立を惹起せしめ、國家生活・社會生活の中に幾多の問題と動搖とを釀成せしめる。
今や西洋に於ても個人主義を是正するための幾多の運動が現れてゐる。所謂市民的個人主義に對する階級的個人主義たる社會主義・共産主義もこれであり、又國家主義・民族主義たる最近の所謂ファッショ・ナチス等の思想・運動もこれである。
併し我が國に於て眞に個人主義の齎した缺陷を是正し、その行詰まりを打開するには、西洋の社會主義乃至抽象的全體主義等をそのまゝ輸入して、その思想・企畫を模倣せんとしたり、或は機械的に西洋文化を排除することを以てしては全く不可能である。
我等の使命
今や我が國民の使命は、國體を基として西洋文化を攝取醇化し、以て新しき日本文化を創造し、進んで世界文化の進展に貢獻するにある。我が國は夙に支那・印度の文化を輸入し、而もよく獨自な創造と發展とをなし遂げた。これ正に我が國體の深遠宏大の致すところであつて、これを承け繼ぐ國民の歴史的使命はまことに重大である。
現下國體明徴の聲は極めて高いのであるが、それは必ず西洋の思想・文化の醇化を契機としてなさるべきであつて、これなくしては國體の明徴は現實と遊離する抽象的のものとなり易い。即ち西洋思想の攝取醇化と國體の明徴とは相離るべからざる關係にある。
世界文化に對する過去の日本人の態度は、自主的にして而も包容的であつた。我等が世界に貢獻することは、たゞ日本人たるの道を彌々發揮することによつてのみなされる。
國民は、國家の大本としての不易な國體と、古今に一貫し中外に施して悖らざる皇國の道とによつて、維れ新たなる日本を益々生成發展せしめ、以て彌々天壤無窮の皇道を扶翼し奉らねばならぬ。これ、我等國民の使命である。
《 を は り》