凛とした日本の旗印

★ 目 次 ★
人生の原風景
先祖先達に学ぶ
世の中は役割分担
『大和ごころ』
教育は家庭から
『國體の本義』
「修身書」の活用
ARNKAメール報
(拉致関連@チェンマイ)
AVの愉しみ
管理人の日記
クロ仲間放送局
海外旅行記
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★ 教育は家庭から ★

★ 親としての務め
 赤ん坊を育てるのは、親の役目です。人間に限らず、あらゆる動物でも、同じです。成長に従い、生きていくうえでの必要な、基本事項を伝えていきます。ライオンは、その子を谷底に突き落とすといいます。這い上がってこれないようなら、所詮は生きていけないことを、本能的に知っている、からです。我が家のベランダに棲みついた野鳩を、しばらく観察したことがあります。子鳩が巣立つとき、自ら飛び立つまで、決してエサを与えません。それどころか、飛ばない場合は、親鳩が突付いて、ベランダから落とそうとします。人間のように、手取り足取り教えることは、、まずありません。動物の世界では、自らが学び取り、自分で身につけていくしかないのです。

 現代社会は、子供が甘やかされ過ぎています。世の中全体が「甘えの構造」なのだから、仕方ないかもしれませんが、子供の将来にとって、よからぬ傾向です。親は子を厳しく育てるべきです。愛情があればこそ、そうすることが、子のためなのです。「甘え」を子供のうちから排除しておかなければ、世の中の荒波に対処できない、ひ弱な大人を作り出すことになってしまいます。

★ 伝統的な「家訓」のすすめ
 その昔、個々の「家」には「先祖からの言い伝え」というものがありました。「家訓」と呼ばれるものはそのひとつです。そこまではいきませんが、しつけや食卓の味などにも先祖伝来のものがありました。戦後、核家族化が進むにつれて、こうした伝統が急速に失われていくのは、さびしい限りです。
 昔は、大家族でしたから、親から伝えられなくても、祖父母から種々の知識を得ることができました。また、家庭でなくても、悪いことをすれば、地域の長老から叱られたものです。そこには、法律や条令はなくとも、地域社会独自の規範が形成されていました。子供たちは、地域社会に揉まれて育てられていたのです。「家訓」というのは、言わばその家庭の教育方針ともいうべきもので、これなくしては、子供の教育はおぼつきません。
 我が家の場合、父方はカナダ在住だったため、一時期を除いて、典型的な核家族でした。それでも、親戚の伯父や母方の祖母から、長男ということで、大切にされました。それは、甘やかすという意味ではなく、家を継ぐ者としてしっかりしろ、という叱責が中心でした。
 面白いことに、父方と母方とでは、家柄が正反対でした。父親は苦労人らしく、子供には好きなことをさせればいい、という考えのようでした。母親は、裕福な家庭で育ったためか、子育てに自信がなさそうでした。泣き出すと、困り果てて意のままにしてくれるので、よくこの手を使いました。父親からめったに叱られることはありませんでしたが、それだけに、たまに叱られると怖かったです。もちろん、ぶん殴られたことなど一度もありません。

★ 家庭は社会生活拠点
 家庭は、社会生活の原点であり、拠点です。集団生活を考える際の、最小単位です。したがって、家庭内が平穏であれば、社会とも平穏に交わることができますが、逆に乱れている場合には、社会との関係だけ正常というわけにはいきません。家庭外の関係を正常に保ちたければ、まず、平穏な家庭を築くべきです。それには、家庭のルールが必要でしょう。
 昔は、どこの家庭にも「家訓」という不文律があったのですが、現代では、失われつつあります。核家族化で、祖父母から教わる機会も減りました。何となれば、家族ぐるみで、迷わず「教育勅語」を実践することをお薦めします。「教育勅語」には「家訓」の原型があるからで、12の徳目が提示されています。いずれも、伝統的な道徳観に基づいており、多くは納得がいく価値観であろうと思います。しかも、心がけさえあれば、実行できないことはありません。実践例としては、「修身書」を読むとよいです。多少、時代を感じさせる部分もありますが、普遍的な価値観は、現代社会にも十分通用すると信じてやみません。国内だけでなく、諸外国の偉人も取り上げられています。とりわけ、これら偉人たちの、子供時代の逸話が多くあるので、何で人々に尊敬されるようになったか、が幼い子供でも理解できるはずです。そして、自分に足りないものが何か、を子供自身に考えさせ、自らの手で身に付けるようにすることが肝要です。

★ 「甘え」への対処
 生まれたばかりの赤ちゃんは、自分では何一つできません。泣くことで、自分の欲求を親に知らせます。これを「甘え」とは言いません。誰かの手助けなしには、生きていけないからです。しかし、10歳頃に「自立心」が芽生えますが、この時期を境にして、何でも要求に応えるのは、考えものです。他の生物を見渡しても、過保護な親は、決していません。助けが必要な幼い時期こそ、親の慈愛を注ぎますが、一本立ちする際には、逆に厳しく突き放します。ここが、大切なところです。
 以前と違って、現在は物が溢れている世の中です。いつまでも過保護な状況から脱却できない子供は、“親の七光り”に気づかず、自分一人で生きていけるように錯覚してしまいます。実社会に出てから、現実との狭間で対処できなくなるのです。できるだけ、幼い時期から、現実の厳しさを体験させておくことの方が、過保護で育てるより、遙かに子供の将来を見越した親心というものです。

★ 「恥」を知る
 日本は、「恥」の文化と言われます。世界一、他人の目を気にする民族です。「恥」を知ることが、日本人としての証なのです。「恥知らず」とは、世の中の道理をわきまえない人間に対する、侮蔑の言葉です。そして、その言葉を浴びることは、耐えられないことでした。
 子供の頃に悪さをすると、母親に「あんたは、それでいいかもしれんが、お母さんが恥ずかしい」と言われて困ったものです。自分が恥ずかしいのなら、対処の方法がありますが、母親が恥ずかしい行為など子供には理解できません。

 「恥」は、知ることから始まります。赤ちゃんには「恥」の意識はありません。しかし、知識を得るに従い、羞恥心を覚えていくのです。裸体を見られた女性が、どこを隠そうとするか、という論争がありました。西洋人は胸に手をやり、日本人は下半身を隠すとよく言われます。真偽のほどはともかく、「恥」はその国の文化であり、道徳観です。どちらが優れているという問題ではありません。「郷に入らば郷に従え」という言葉があるように、その土地ならではの習慣がある、ということです。
 「恥」は、日本の伝統文化ですから、これを教え込まなければはじまりません。

2006年3月14日更新