凛とした日本の旗印

★ 目 次 ★
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『大和ごころ』
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『國體の本義』
「修身書」の活用
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(拉致関連@チェンマイ)
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★東南アジア見聞録★第1巻

ベトナム・カンボジア編 平成8年1月
 バリ島で活躍する知人のK氏に刺激され、平成8年1月にベトナムとカンボジア、3月にインドネシアのジャワ島を訪問しました。 いずれも、なけなしの金をはたいた自費旅行です。リストラだの給与ダウンだの暗い話題ばかりの社内を離れて、 しばしの息抜き記事として心をお鎮め下さい。
★  ベトナムの巻
 ベトナム航空の直行便なら、関西国際空港からホーチミン市(旧サイゴン)のタンソンニャット空港までは約5時間半で着く。 国際空港でありながら、たまに飛ぶ民間機とシートを被った軍用機が並ぶだけの寂しい空港だ。まず、ケタはずれに能率が悪い入国審査にあきれる。 パスポート、ビザ、出入国カードのほかに滞在許可証の申請が必要で、一人の審査に5分以上もかかる。 おまけに、旅客に行列をつくらせて、勤務中に女の子と無駄話している不謹慎な係官がいる。当局に密告してやりたい。

 ここは明らかに中国文化圏である。文字こそアルファベット表記だが、ベトナム語の語源は半分が漢字(中国語)からという。 会話を聞いていても、‥‥もちろん意味はわからないが、広東語と区別がつかない。料理はもはや中華料理そのものである。 違うのはヌックマムと呼ばれる魚醤を使う。これが強烈なにおいを発散させ、魚市場のゴミ捨て場で食事をしているようで、 せっかくの味覚も半減する。

 社会主義国らしいのは、官庁に翻る赤地に黄色星の国旗とお客様第一主義にはほど遠い国営商店の接客態度ぐらい。 少なくともホーチミン市をみる限り、他の東南アジア諸都市と変わらない喧騒に鼓膜が破裂しそうだ。 散歩しようにもたちまち子供の売り子が取り囲む。それに気を取られていると、脇のおやじが平気で他人のポケットに手を突っ込んでくる。 夜ともなれば、アオザイ姿の若くてきれいな女性が出没する。声をかけられて悪い気はしないが、 売り物も持たず「シャチョウサン、ゴジュウドル」などと言うのはいかがわしい商売に決まっている。社会主義にあるまじき行為だ。 ドイモイ(刷新)政策による経済成長が著しい反面、拝金主義の弊害が横行し、まったく油断がならない。 国営サイゴンツーリストの美人ガイド嬢が案内してくれた観光スポットは、メコン川クルーズを別にすれば、ベトコンの拠点地下トンネル、 アメリカ戦争犯罪博物館、旧南ベトナム大統領官邸など戦争の傷跡を売りものにしたところばかり。 正しい日本語で一生懸命説明してくれた彼女には悪いが、はっきりいって面白くもなんともなかった。 昨年、米国との国交が回復したので、刺激するような施設はいずれ取り壊されるそうだ。
★ 右スライド写真の説明 ★

1.メコンデルタを行く(ベトナム・ミト市)

2.ベトナム民族芸能ショー(ホーチミン市)

3.アンコールワット遺跡(カンボジア・シェムレアップ市)

4.カンボジアの子供たち(プノンペン郊外の村で)

《以上、ホームビデオ画像より》

★  カンボジアの巻
 ホーチミン市からプノンペンまでは約180㎞、レントゲン車を思わせるソ連製ツポレフ134型機でわずか30分足らずの近さである。 カンボジアはつい先頃まで戦乱が続いていたところで、いまなお国境地帯では政府軍によるポルポト派一掃作戦が展開されている。 こうした予備知識が必要以上に緊張感を呼び起こすが、ベトナムと違って生き馬の目を抜かれるようなこともなく、 市内はいたっておおらかな雰囲気に包まれている。 こんな人の好さそうな民族に、 数百万人ともいわれる大量虐殺事件があったとはとても信じられない。

 首都なのに、高層ビルや自動車の洪水とも無縁である。 時折、横浜消防署とか、茨城農協と入った車を見かける。阪神タイガースの帽子をかぶった人もいる。 民家や商店には必ずシアヌーク国王夫妻の写真が掲げられており、社祖と会長の写真があった昔のY生命を思い出して妙に親近感が湧いてくる。 ホテルにはカジノがある。宿泊客専用かと思いきや、現地の人であふれている。スロットマシンでひと儲けしようとしたが、 アッという間に20米ドルが消えた。旅行中最大の出費である。街灯はあるが、省エネでもあるまいに点灯しないので、夜は暗闇になる。 明かりを求めていたら、いかにも妖しげな場所に踏み込んでしまった。あわてて引き返すこともないので何気なく眺めていると、 こちらに気づいた少女の集団が懐中電灯を片手に笑顔満面で寄ってくる。これはまずい。着飾った服装で察しはつくが、 クメール語で話されても何のことやらさっぱりわからない。ものわかりの悪い男に業を煮やした彼女たちは、 ついにとっておきの日本語で放送禁止用語を連発した。人目を忍んで使う言葉を、公衆の面前でこうもあからさまに言い放たれては、 冷や汗がどっとでてとまらない。待ち構えていたバイクタクシーを15円に値切って、一目散で逃げ帰ったのは言うまでもない。

 焼け付く暑さと埃まみれになるのが観光の難点だが、プノンペンの北西200㎞にあるアンコールワット遺跡群はすばらしい。 平安・鎌倉時代に、祇園精舎としてその名がとどろいていたという。観光客の8割は日本人である。 バスで移動する我々を子供の売り子集団が自転車や駆け足で追いかけてくる。まるで専属の移動売店を持っているようだ。誰が教えたのか、 日本語でガイドの真似事をする子もいる。公務員の月給が3千円程度で、しかも遅配が続いていると聞く。長い間の戦争で疲弊したこの国は、 泣きたいほど貧しい状態なのであろうが、そんなことを感じさせない明るい笑顔が満ちあふれている。 カンボジア(クメール)は微笑みの国、とはよく言ったものだ。

《次ページにつづく》

2006年1月31日更新