凛とした日本の旗印
★ 目 次 ★
☆
人生の原風景
☆
先祖先達に学ぶ
☆
世の中は役割分担
☆
『大和ごころ』
☆
教育は家庭から
☆
『國體の本義』
☆
「修身書」の活用
☆
ARNKAメール報
(拉致関連@チェンマイ)
☆
AVの愉しみ
☆
管理人の日記
☆
クロ仲間放送局
☆
海外旅行記
☆
掲示板(bbs)
当サイトへのお問い合わせ先↓
master@kuro-net.org
★東南アジア見聞録★第3巻
タイ・ミャンマー(ビルマ)編
平成9年7月
ドイステープ寺院(ChiangMai)
先日、知人のK氏とタイ国へ行って来た。カンボジアのアンコールワット探訪計画が政情悪化で頓挫し、隣国に変更せざるを得なかった。 Kさんといえば“バリ島”のイメージが強いが、ヨガの老師で仏教にも造詣が深い。そのため、どこか求道者を思わせる。 対する私は何の哲学もない無信仰な人間である。唯一の共通点はともにやせっぽちという、ここに奇妙なコンビができあがった。
成田からのプーケット島直行便(バンコク経由)は若いOL集団に占拠され、我ら中高年コンビが機内で異彩を放つ。 タイ旅行はいつからOLの天下になってしまったのだろう。初日はスイス系の五つ星ホテル“フェリックス・カロン”に泊まる。 オフシーズンのため一泊朝食付で破格の7,000円。やはり欧米人が多く、そのせいか朝食時のコーヒーが実に美味しかった。
プーケット島文化村にて
翌日、ホテルのハイヤーで島内観光をする。 プーケットタウンが見下ろせる展望台、文化村の民俗芸能ショー、熱帯植物園兼水族館などを見学したほか、 山間に渓流があるというのでそこにも行ってみたが大したことはない。ここは海を楽しむところだ。 昼食は50円ラーメンで済ます。ラーメンというよりうどんに近く、スープがどぶ色で気持ち悪い。味はさっぱりしていてまずまず。
Kさんの強力な推薦により、“ラタナマンション”というプーケットタウンのプチホテルに宿を移す。 一泊700バーツ(1バーツ≒4円)の値段から木賃宿を想像するかも知れないが、比較的新しく清潔で問題ない。 Kさんがいきなりフロントの美人嬢を口説き始めた。英会話の内容は判らないが、一緒にピピ島へ行く約束をしたという。 やっぱり、下心があったのだ。夕方、Kさん知己のトゥクトゥク(三輪車)運転手に出会い、タイ式マッサージというものを受けに行った。 2時間400バーツ、言葉の響きに意外なサービスを期待したくなる。関節をボキボキにされながら何とか苦痛を耐え忍んだが、 意外なサービスなどありはしなかった。逆に疲れが増したようで急ぎ宿へ帰還する。美人嬢との約束にルンルン気分のKさんは、 引き続き夜の町へと姿を消した。近くにソープランドもあったりするようだが、どこへ行ったかは聞いていない。
ピピ島に行く日になった。が、約束はどうやらKさんの一人相撲だったらしい。 そう言えば、彼女の表情からは、特別な感情を抱いている様子は伝わらなかった。語学が苦手な私に、読心術の才能が備わっているようだ。 結局、中高年コンビで寂しく観光の運びとなった。落胆著しいKさんは寡黙になり、船中ではふて寝してしまった。 ピピ島には中華の珍味“海燕の巣”があり、中国、台湾、香港からの観光客で賑わう。洞窟の中で高所の巣を採取する作業を見学した。 異様な現場を目の当たりにすると、せっかくの美味も食欲を減退させるだけで逆効果のように思う。
ドイステープ寺院(ChiangMai)
旅の後半は舞台を北部に移す。8年前に訪れたとき、チェンマイは田舎町という印象だったが、 今や高層ビルが建ち並びタイ第二の都市を実感させる。奈良・京都と同じ古都なら、なまじ近代化などして欲しくない。多民族国家タイの中では、 北部のシャム族が我々に似ていて親近感を憶える。初日は“チェンマイオーキッド”を予約しておいた。皇族も利用する格式高いホテルだ。 フロントには26歳の日本人女性スタッフがおり、8年前のガイドを探してくれた。若かった彼もすっかりオジサンになっていた。 残念ながら先客があり、代わって知り合いの運転手を紹介してもらう。
このスワンという名前の白鳥運転手は、困ったことに英語も日本語もだめだった。不安を抱きながら北部観光に向かう。 途中の山間部にトウモロコシの露店があった。美少女を見つけるとKさんがすかさず車を止めさせた。 必要に駆られてカタコトのタイ語で話しかけると意外や通じた。苦労して氏名・住所を書いてもらったのに、今度はタイ文字が読めない。 何てことだ! それにしても、二本で20バーツの商売が、いったいどれだけ家業の足しになるのだろうか。 いや、金満な我々よりも、彼女の柔和な表情の方がはるかに幸せそうで内心は羨ましかった。
チェンライの大衆食堂(焼き鳥を食べた)
左が"白鳥運転手"スワンさん
タイ最北端の町メサイに到着。ここからミャンマー(ビルマ)のタチレクに入る。 国境といっても小川に架かる橋のすぐそこに見えるのがミャンマーだ。現地人は自由に往来できるため、 ミャンマーからパスポートを持たぬまま不法に滞在するケースが多いらしい。外国人の我々はパスポートを預けて通行証をもらう。 ミャンマー側で5米ドルの入国税をとられた。タチレクの町には社会主義国に共通した無気力感が漂う。ミャンマーの通貨はチャットだが、 米ドルやタイバーツがそのまま使える。衣類、薬品、日用品など売ってるものは中国製が多い。 どこで仕入れたのかマイルドセブンを1カートン400円で売っていた。ここは翡翠の産地だったはずと何故だか急に閃き、 あわてて5粒ほど買ってしまった。待てよ!露店の宝石などいかがわしくはないのか、ああどうしよう。この日はチェンライに泊まる。 以前と変わらぬ静かな田舎町がうれしい。夕方の激しいスコールで道路が大河のようになる。それでもKさんはまたマッサージに出かけた。 元気の良さに感心する。
ゴールデントライアングル(向こう岸はラオス)
次の日、ゴールデントライアングルへ行った。開発が進んでいるようだが、麻薬地帯の汚名からか客足は少ない。 タイ・ラオス・ミャンマーの国境を成すメコン川は土色に濁り、流れが速くて呑み込まれそうだ。 ボートのクルージングは30分お一人様150バーツ、それもKさんが「500バーツ」の言い値を敢然と値切ってくれた。 ラオス側で一旦上陸したがパスポートなど必要なかった。続いてメオ族、アカ族など少数民族の村も見学。最近は同化が進み、 民族の独自性は失われつつあるようだ。チェンマイへの復路で、あの少女はそこにはもういなかった。
チェンマイでは一泊(冷房付)450バーツの安宿をとった。従業員は十代の若者ばかり、学生のアルバイトか。 サッカーのTV中継に熱中し、XーJAPANのファンと言っていた。ゲームセンターに興じ、キティちゃん、 クレヨンしんちゃんのキャラクター商品やたまごっちが店頭に並ぶ光景は日本と変わらない。 親近感がわく反面、そんな物質文明に毒されないで欲しいとも思った。
K氏のWEBサイトです。ぜひ寄ってみてください。
「亀仙流ヨーガ健康術」
http://www.h5.dion.ne.jp/~j-kamei/
このページのBGMはヤマハ(株)から提供されたものです。
Copyright(C) YAMAHA CORPORATION. All rights reserved.
2006年1月31日更新