凛とした日本の旗印

★ 目 次 ★
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先祖先達に学ぶ
世の中は役割分担
『大和ごころ』
教育は家庭から
『國體の本義』
「修身書」の活用
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(拉致関連@チェンマイ)
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★東南アジア見聞録★第2巻


ジャワ島ひとり旅 平成9年2月
 数え切れないバリ島渡航歴を持つ社交的で快活な知人のKさんと違い、無口で人見知りする私はいつもひとりぼっちだ。 団体旅行なら見たい観光地に連れていってくれるし、言葉の不自由もない。だが、日本人のインドネシア観光は、バリ島かボロブドール仏教遺跡、 さもなくば、新婚組が秘かにプロウスリブ諸島へ行く程度と相場が決まっている。そのため、 「自由な個人旅行は危険です」と旅行社でも取り合ってくれない。といってプロウスリブなんぞ、独り身で泳げもしないのに誰が行くものか。 目的はあくまで老後の生活拠点を探すことである。

★  イスラム教のお正月(Hari-Raya)
 ジャカルタに着くと、ちょうど断食月(ラマダン)の終わりを告げるお祭りにぶつかった。トラックに鈴なりの若者たちが、 皮も破れよとドラム缶太鼓を打ち叩き、木製ラッパを吹き鳴らしながら町内を練り歩く。まるでおもちゃの楽隊だ。 断食のため、開業のレストランは市内に2軒だけ、あのマクドナルドでさえ暗幕を垂らしてひっそりやっている。 TVをつけると、どのチャンネルも「アッラー、ナントカカントカ」とイスラム高僧のお祈りシーンばかり、無信仰の者にはわけがわからない。

 一夜明けると、イスラム正月(Hari-Raya)を迎える。景観は普段と変わらず拍子抜けする。 ホテルのロビーに、モスクや月星をあしらった大きなケーキがずらりと並び、わずかにその雰囲気を伝える。 この日は、誰にでも新年の挨拶(だと思う))を交わす。いろんな見知らぬ人に声をかけられ、握手された。 悪用して、きれいなお嬢さんの手を握っても文句は言われない。

★  勇敢な者だけに許される田舎の食堂での食事
 ダイハツの軽四輪でタシクマラヤ(Tasikmalaya)に向かう。日中35度の猛暑に冷房なし、虚弱な日本人には拷問だ。 高速道路に入るとスコールがきた。涼しいのは有り難いが、前が見えないほどのどしゃ降りだ。 それでも時速100Kmのカーチェイスを繰り広げる。車輪がはずれはしないかと手に汗がにじむ。路肩でバスが仰向けになり、 田んぼにトラックが寝っころ返っているではないか。約束に2時間遅れても平気な彼らが、車だけはなぜこんなに急ぐのか、理解に苦しむ。

 街道沿いの食堂で昼食をとる。焼き鳥(SateAyam)、野菜スープ、厚揚げ、牛肉入り野菜炒め、白飯の定食に、 ジャワティーとコーヒーまで奮発したが、ガイド氏、ドライバーを含む三人前でなんと1万8千ルピア(約900円)だった。 これがなかなか美味しい。しかし、桁外れに鈍感か恐いもの知らず以外は、田舎の食堂に立ち入ってはならない。 なぜなら、運ばれた料理は黒山のような蠅が群がり、視線を転じると、イスラム頭巾を覆った若い女店員が、 汚れた雑巾でフォークやスプーンを拭いている。衛生に神経質な日本人なら、全身が鳥肌立たない人がいようか。

 バンドン(Bandung)のバイパスを抜けると、今度は大渋滞だ。正月を田舎で過ごす人を乗せたバス、 トラック(荷物でなく人間を満載)、馬車に人力車までがごった返す。4キロほどを3時間もかかった。 おかげで目的地までたどりつけず、途中のガルート(Garut)に宿泊を変更する。 ホテル(はっきりいって木賃宿)は、中国系インドネシア人の家族連れであふれている。 中国の春節とイスラム正月が重なり宿泊代も通常の2倍だ。近くには温泉場(CiPanas)もある。

 まもなくサイババみたいな父っつあんが、3人の女性を引き連れてホテルに現れる。言葉がわからず判然としないが、 ハーレムの出前なのだろうか。アッラーの神や教祖マホメットはまことに慈悲深いお方だ。一人哀れな男に粋な計らいをして下さる。 だが異教徒は、山賊の侵入を許すまじと部屋のドアを固く閉ざした。

 夜ともなれば、新たな格闘が始まる。隣部屋の赤ん坊が泣き叫ぶ。壁には巨大なトカゲが這い回り、電球に蜘蛛の巣が張っている。 モスラのような蛾まで飛んできて、部屋中がサイケな世界だ。蚊の大群に喰われてはならない。いまどきマラリアで落命なんて、 末代まで物笑いにされる。その思いも空しく、次の瞬間、「あっ、かゆい! チクショウ、ヤラレタ‥‥」
注‥‥現地の人の話では、 少なくともジャワ島やバリ島といった日本人観光客が行くようなところは、マラリアの心配はないそうですから安心して下さい。 なお、参考までにバンドンにはマラリア研究所があり、治療や特効薬の研究が行われています。

★  シンガパルナはイスラム神学の牙城
 翌朝、ガルート近郊のヒンズー遺跡を見学する。正月休みで、田舎の村でも馬車や人力車、バイクタクシーがあふれて大変な賑わいだが、 遺跡そのものは大した代物ではない。それにしても、老若男女のモスレム(回教徒)が、ヒンズー教遺跡など見てどうするというのだろう。

 タシクマラヤに近いシンガパルナ(Singaparna)は、37歳になる同行ガイド氏の生まれ故郷である。 小さな町ながらイスラム神学の牙城で、イスラム教の大学も置かれている。そのせいか、 このサダム・フセイン(イラク大統領)のような髭をたくわえたガイド氏は敬虔なスンニ派モスレムで、一日5回のお祈りを欠かさない。 布教にも熱心で、「オヨメサン、ショウカイシマス」と餌をまき、何度となくイスラム改宗を迫られた。願わくばお嫁さんだけにして欲しい。 そもそもここは、戦時中、回教徒の抗日パルチザン活動の拠点だったところで、山中に潜み激しい戦闘を繰り広げた。 故に、罪なき多くの回教徒が日本軍に捕縛され、虐殺された悲しい歴史を持つ。

フセイン髭氏の叔父さん一家と(シンガパルナ)

 昨年に続き、またフセイン髭氏の叔父さん宅に立ち寄らせていただいた。教師を多く輩出する博愛的家系の鷹揚さか、 誰も日本人に恨みを抱いている様子はない。それどころか、同世代の叔父さんが私を歓待してくれる。副業で養魚も営み、 当地の名物グラメ(Gurame)という魚の唐揚げをごちそうになったことがある。今回は米から作った正月料理を出してくれた。 「泊まって行け」との言葉には、ご先祖様の亡霊に悩まされそうなので固辞し、今日の目的地パンガンダラン(Pangandaran)に向かう。

 パンガンダランはインド洋に面した海岸の町で、江ノ島のようなところと思えばいい。波が高くて遊泳禁止というのに、 正月のせいか大勢の観光客が繰り出している。シンガポールだか台湾だか香港だか知らないが、いずこも中国系の家族連ればかりである。 名物の海鮮料理も中華系の味付けがなされるが、日本人にはちょっと甘すぎる。それでも正月料金だけはしっかりとられた。

 翌日、バンドンに引き返す。行きほどの渋滞はなかった。石油産出国なのでガソリンスタンドがいたるところにある。 たばこ屋でガソリンの量り売りすらしている。1㍑当たり700ルピア(約35円)と安い。雨期のせいもあろうが、 バンドンは雨が多いようで夜通し降り続き、うっとおしい。前回と同じクラマホテル(KulamaHotel)に泊まる。三ツ星といわれたが、 清潔感がまるでない。日本人客が多いのか、日本語の案内があり、従業員も簡単な日本語を話す。 冷蔵庫には“ミニバーのお飲物を無料でお召し上がりになって下さい”という奇妙な日本語が手書きで貼ってあった。 入っていたのはミネラルウオーター、コカコーラの各1本だけ。

★  ブロモ山はヒンズー教の聖地
 バンドン・スラバヤ(Surabaya)間はムルパティ(Merpati)航空で移動する。2時間近く延発したが、 遅れることに慣れっこの乗客は悠然たるもので誰も動じない。唯一人の日本人だけが苛立つ。期待もしない機内食には、お弁当が出た。 開けると、ご飯の上に鶏の太ももが1本、デンとのっかって豪快だ。プラスチック製の粗末なスプーンとフォークもあるが、 みんな手づかみでむさぼり食う。前方のドアが開け放たれてコックピットが丸見えだ。パイロットも太ももに噛みついている。 操縦桿を握らなくて大丈夫なのか。むっ、なんと、操縦席の窓に新聞紙やピンナップ写真がペタペタ貼られている。まさか、 窓がひび割れているのではないでしょうね。一瞬、心臓の鼓動が止まる。

 ジャカルタに次ぐ大都市スラバヤだが、空港(BandaraJuanda Airport)はウサギ小屋のようだ。 「シゲルサン、オマチシマシタ」と陸上のカール・ルイスと見まがう男に声をかけられる。フセイン髭氏の友達だ。 本業はジャカルタの日本語ガイドで、いま正月休暇を利用してスラバヤの実家に帰省しており、母国語しか話せない私のために便宜を図ってくれる。 ここは日本の商社関係者も多いが、そんな人は語学に堪能でガイドなど必要ない。タクシーはスラバヤ市街とは逆方向にハンドルを切り、 空港から1時間ほどの保養地トレテス(Tretes)に向かう。「すらばやアツイ、ニホンジンミンナとれてす」と半ば誘拐されるように連れて行かれた。 アルジュナ山(Mt.Arjuna 3339m)のふもとにあるため、なるほどクーラーがなくとも涼しい。山間の静かな保養地と思いきや、 近くに不似合いな置屋(に違いない)の長屋群がずらり連なる。ネオンがまたたき、いかがわしい気分をあおり立てるが、 そこにイスラムのお祈り放送が響きわたって崇高な世界へと呼び戻される。
★ 左スライド写真の説明 ★

1.ブロモ山の夜明け(現地時間午前6時)

2.噴煙を吐くブロモ山のお釜

3.金持ちは帰りもポニーに載って

《以上、ホームビデオ画像より》

 深夜午前1時半というのに、ルイス氏に叩き起こされた。ブロモ山(Mt.Bromo 2329m)に登って日の出を見るためだが、 外は雨が降っている。「止めようよ」といったが、彼は笑って黙殺した。おいしいガイド料をフイにしたくないらしい。外には彼の弟も待っていた。 壊れかけたワゴン車に詰め込まれ、猛スピードで目的地に向かう。雨中、飛び跳ねながら約3時間、ブロモ山のふもとについた。 真っ暗闇で何がなんだかわからない。金持ちはポニーに乗って登るが、断じて歩く。雨で火山灰の足下がぬかるむ。 水たまりにはまったりポニーの糞を踏んづけたり、気持ち悪い。最後の急勾配を息も絶え絶えに登る頃、やっと空が白み始める。 頂上に立ったのはちょうど午前6時、嘘のように雨は上がり、東の空が紅く染まってきた。火口は噴煙を吐き、眼下にヒンズー寺院が見える。 ポニーを引くツングル族(OrangTengur)は毛布をまとっているので、なんだかアンデスの山中に来たようだ。 彼らはヒンズー教をいまでも守っているが、その昔、多くの仲間がモジャパヒトや回教徒に追われ、バリ島に逃げたという。 バリ島のヒンズー文化はこうして定着したらしい。ブロモはヒンズーの聖山なのだ。赤道直下でもかなり寒い。 冬の日本から持ってきたジャンパーが役に立つ。

 ホテルに戻り、休む間もなくスラバヤへ向かう。ワゴン車に揺られることまた2時間、今度は灼熱地獄でたまったものではない。 スラバヤ動物園に行き、極楽鳥、オランウータン、コモドドラゴンなどの珍しい生物と面会する。それだけのために往復4時間とは馬鹿げている。

★  バリ島はインドネシアのなかの外国?
 スラバヤからバリ島(Plau Bali)のデンパサール(Denpasar)まで空路約40分で着く。 「バリ島の地理はわかるからガイドは不要」と告げておいた。タクシー乗り場でチケットを買おうとしていると、 「シゲルサン、たくしータカイヨ」と元阪神セシル・フィルダー顔のおやじに荷物を剥ぎ取られた。 スラバヤのルイスが「金づるだ」と連絡したらしい。よけいなお世話だ。スズキのジープに押し込まれる。 ホテルまでタクシーなら1万ルピア(約500円)で済むのに、6万ルピア(約3000円)という法外な要求をしてきた。 なにが「たくしータカイヨ」だ、ふざけてる。以降の予定はすべて断った。

Kさんちの現地店員と記念撮影(バリ島クタビーチ)

 夕方、Kさんの店に立ち寄る。「私がおごるから」と言ってみんなを食事に誘い、バイクを連ねて地鶏を食べに行った。 鶏飯(AyamGoreng)と飲み物で3人前9500ルピア(約475円)だ。それでも「ゴチソウサマ」と喜んでくれる。 翌日、帰国の際も、店員たちがバイクで空港まで送ってくれた。

 バリ島はすっかり観光地化され、外国人も多い。そのため、遊びが目的の日本人観光客にとっては、言葉の心配もなく、 衛生や設備が整い、各種エンターテーメントも盛り だくさんで楽しめるのかもしれない。そのかわり、 外貨で豊かになった分だけ地方が持つ独特の人間性まで失い、チップをもらっても当然といった顔つきや偽フィルダーのような拝金主義人間を生む。 そうさせたわれわれ外国人も罪づくりだとは思う。ジャワ島諸地方とはまるで違い、別の国にいるような印象さえ受ける。 インドネシアは多民族国家であり、地方にはそれぞれの違った顔がある。宗教も入り乱れており、かなり複雑だ。だから、 バリ島だけを見てインドネシア全体を語るのは片手落ちである。


《次ページへつづく》

2006年1月31日更新